top of page

新釈古事記伝

ご存知のように日本の神話を歴史的にあるいは政治的に解釈する方もいれば、宗教的にあるいは文学的に解釈される方も種々おられるようですが、(故)阿部國治の新釈古事記伝は、倫理学としての古事記伝です。古事記は、稗田阿禮の暗誦したものを太安萬侶が漢文字にうつし、本居宣長が全体を読めるようにしたものですが、古事記を解釈した本は、本居宣長以降、後にも先にも阿部國治の新釈古事記伝しかありません。

当時、日本の神話を政治的に利用する人々が多く、人間の戒めをといた倫理学として解釈された新釈古事記伝は敗戦と共に日の目をみておりません。阿部國治は、大正10年東京帝国大学法学部を首席卒業し、さらに昭和2年東京帝国大学文学部を首席卒業されております。

古事記に書かれてある言葉は奥が深く、例えば<海原を光し依り来る神あり>という言葉は、国語的に解釈するだけでは意味がわからず、体感しながら読まなければなりません。その意味からも私の抽象表現の作品を形だけで解釈しようとしても意味がわからず、感じながら見なければならないのとよく似ています。

(故)阿部國治(1897~1969)著の新釈古事記伝の表紙絵

第1巻から第7巻

「袋背負いの心」「盞結」「少彦名」「受け日」「勝佐備」「天岩屋戸」「八俣遠呂智」

第7巻は、ルナ企画発行

有限会社日本講演会からの依頼による表紙絵は、1999年~2009年にかけて発行されました

袋背負いの心1.jpg

第1集

『袋背負いの心』ふくろしよいのこころ

1999年3月15日発行

表紙見開きの私のコメント

「古代へのロマンが色と混じり合って作品となる。」

うきゆい.jpg

第2集

『盞結』うきゆい

2000年3月15日発行

表紙見開きの私のコメント

「目に見える世界と見えない世界が渾然と交わって作品となる。」

すくなさま.jpg

第3集

『少彦名』すくなさま

2001年5月1日発行

表紙見開きの私のコメント

「小が大を包み込んで色となる。」

受け日1.jpg

第4集

『受け日』うけひ

2003年5月5日発行

表紙見開きの私のコメント

「日と火の見えない形は人に受けつがれて形をなす。」

勝佐備1.jpg

第5集

『勝佐備』かちさび

2004年11月10日発行

表紙見開きの私のコメント

「あるがまま、見るがまま、全ての色はそこにある。」

天岩屋戸1.jpg

第6集

『天岩屋戸』あまのいわやと

2008年7月1日発行

表紙見開きの私のコメント

「光は、絵の具にこもって生まれる。」

新釈古事記伝の「天岩屋戸」の場面ですが、天照大御神が自らの責任の追及の仕方として<みそぎ>と<いのり>のために全ての働きを中止して、神業として<おこもり>をされた場面でして、その結果この世の中が暗くなりましたが、いままでぼんやりしていた<ひ>の存在と力を八百万神たちが認識した瞬間でもあるのです。ですから、私は、この場面を生命をはぐくむ形としての天岩屋戸を想定し、岩をも透す光を描き加えました。

八俣遠呂智1.jpg

第7集

『八俣遠呂智』やまたのおろち

2009年4月1日発行

表紙見開きの私のコメント

「光を求めて 形は生まれる!」

袋背負いの心2.jpg
受け日2.jpg
天岩屋戸2.jpg
八俣遠呂智2.jpg
bottom of page